ここに来てくれてありがとうございます。
小学校6年間も小林さんにとって、楽しくない日々でした。
しかもね、いよいよ毒親の毒素の症状は表れ始めます。
その毒に侵され始めた6年間の前半の出来事をありのままに綴ります。
Contents
小学校低学年の小林さん、右耳とやる気を失う。
検査機の故障を疑われる
小学校1年生のスタート。身体測定の聴力検査で、要検査になる。
音が鳴ったら、ナースコールみたいなボタンを押すあの検査。
横一列に何人か座って、一斉に検査開始。
みんなカチャカチャ押すのにわたしだけ、一切無反応。
慌てた看護師さんが、ヘッドホンを付けなおす。
結果、変わらず。
ボタンのコードを確認する。
結果、変わらず。
他のヘッドホンで試してみる。
結果、変わらず。
そういえば、テレビを見ていたわたしに毒父が名前を呼んだにも関わらず
何度名前を呼んでも反応しないからって、頭を殴られたことがあった。
あの頃から耳に異変があったのかもしれない。
総合病院での検査の結果
炎症が起きているわけでもないし、鼓膜も正常。
脳に腫瘍があるわけでもなかった。
『感音性難聴』と診断された。
原因が分からない以上は、治療の施しようがない。
だから、左耳のみで生きていくしかない。
片耳が聞こえないことで、クラスメートに右側から話しかけられたりしても
気が付かないことが増えた。だから、毒母の指示通りみんなに右耳が聞こえないことを発表した。
『耳なし芳一』『つんぼ』こどもって残酷ね。
初めてついたあだ名。
でも、泣くことはなかったよ。
感情を押し殺すことは慣れていたから。
たった片方の耳が聞こえないだけで、不便さはあった。
- 左側がうるさいと聞こえない。
- 男の人の低い声が聞き取りづらい。
- 片耳だけイヤホンつけて音楽を楽しむ、ってことができない。
- 顔を左に傾けたり、左耳を覆ったり変な癖がついた。
- 耳鳴りが24時間365日鳴っているからうざったい。
あれから30年。耳鳴りには慣れた。
だけど、右耳が聞こえないことには、今も慣れないのは
両耳が聞こえていた時の耳の感覚を覚えているから。
両耳が聞こえるって、左から右に向かって風が通り抜ける感覚。
右耳が聞こえていた時、音が入ってくると耳の中に風と振動が伝わってくるような感覚があった。
(わかる人いるかな??)
この間、改めて総合病院で検査をした。
医学の進歩で耳の聴力が治るかもしれないとおもったから。
結果は同じだった。だけど、心の中のモヤモヤがスッキリした。
耳の機能は果たしているし、脳も正常だけど何故か脳が音を認知していない。
骨伝導検査もしたけど、イヤホンが震えるくらい骨伝導を強くしても音は聞こえてこなかった。
(だから、今最新とされてる骨伝導イヤホンがわたしには使えない。ちぇっ。)
耳鳴りについてお医者さんは、
例えば電気系統で例えると、配線がおかしかったりするとバチバチってショートしたりする。
これが、耳鳴りの原理らしい。(感音性難聴の場合。)
ずーと365日24時間耳鳴りがうるさかったのは、ショートが原因だったんだ!!
だけどね。
実は耳鳴りはもう鳴っていないんだ。
ここ数年の間だけど、気が付いたら耳鳴りの音を聞いてない。
だからね、精神的なものから耳鳴りが起きていたんだ。
メンタルと身体って密接な関係があるっていうけど不思議だね。
小林さん、小1の算数のおはじきでやる気をなくす。
小林さんは学校でのお勉強はどうだったのかひも解く。
あのね、算数セットの中のおはじき。あれが原因でやる気をなくした。
おはじきで数を数えたり足し算引き算を覚える授業だったと思う。
算数の授業で、増えたり減ったりする意味がわからなくて
答えをいいなさい。と、指名された。
でも、よく分からなくてモジモジしていたんだ。
学校でスパルタで有名な算数&担任の先生は合わなくて、苦手だった。
ベランダに出された。(当時は、給食を残したりルールを破ったりすると
廊下やベランダに立たされる時代だった。)
あれで心が折れちゃった。
その先生が怖くて、ホームルームの朝の会の時には
トイレに行きたい。のたった一言がいえなくておもらしをしたこともあった。
(同じようなクラスメートもいた。)
生徒にはすこぶる怖がられているけど
親御さんからは、いい先生と評判で信頼されてる。
そんな先生だった。
小学校1年生の最初の最初。基礎の基礎でつまづいたわたしは
応用が利くわけでもなく、やる気がまったくない生徒になった。
勉強が楽しくなかった。
だけどね。
勉強が楽しくなかったのは、嫌いになったのは
先生のせいではないんだよ。
先生はきっかけにすぎないんだよ。
家族の中で唯一気軽に話せる
毒父に勉強を聞いたことがある。
なんで、こんなこともわからないいんだ!
鉛筆をノートに突き刺しながら、怒鳴る。
なんで、こんな問題も分からない?
あからさまに溜息を吐きながら、首を傾げる。
ますます、勉強が嫌いになった。父に勉強のことを聞けなくなった。
だって、怒鳴られるのは嫌だもん。
だから、分からないことが分かるようにならなかった。
テストも隠すようになった。
当時、住んでたマンションの目の前が海だったから、大量のテストを捨てたことがある。
『おかあさん。』と呼ぶのが怖かったから渡せなかったんだけどね。
結局、頭の程度は小学校低学年相当のまま今日まで至る。
〇パーセントは〇割?
〇÷〇は?
分数の計算…
そんなもん、知ったことか。
おかげさまで、電卓があるから困らないよ(笑)
勉強ができないことが問題じゃないんだ。
その理由をまとめてみたいとおもう。(待っててね。)
まとめ
小学校の6年間の前半部分をまとめてました。
結局のところ、記憶がほとんどないから、すぐ終わってしまった。
小学校低学年のわたしは
- 現実が受け止めきれずに右耳の聴力を失う。
- やる気をなくして勉強も手につかなくなる。
聴力ややる気を失ったことで、
耳なし芳一ってあだ名をつけられたり
分からないことを聞けば、
ため息つかれるわ、怒鳴られるわ。
ますます家での居心地が悪くなった。
でもね。
その感情を押し殺すことはできたんだ。
だって、慣れてるから。
問題は、勉強ができるできないじゃないんだよね。
頭が悪い人がいうと、説得力ないけどさ。
ちかいうちにまとめてみたいとおもう。
最後に、ここまで読んでくれたあなたへ。
機能不全家族の家族の中で毒を持った親や親戚に育てられたあなたは、
きっと今も苦しくて辛いんだと思う。
30年自分を責めて、生きづらくてしょうがなかったわたしが今、
こうして毒親や毒族の毒から解放されてのらりくらりと生きてます…(笑)
猛毒の後遺症が激しいから、覚えることはたくさんあるけれど
なにより自分というもの認めてあげることができたから毎日、前向きです。
大丈夫です。
毒親や毒族がなんといおうと、あなたは価値のある尊い人です。
声を大にしていいたい。
大丈夫、絶対によくなるから!
では、またね。
ありがとうございました。