毒親育ち、進学するのか就職するのか問題。ep7part2【毒母が突然話しかけてきたから驚いた件】

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毒親育ち、母になる。

こんにちは!毒親育ち、母になる。の小林です。

機能不全家族の中で毒親に育てられたわたしも、
15歳になっていよいよ最終的な進路を決めなきゃいけない時期に入った。

だからといって、別に毒親とあーだこーだ進路について
話していたわけではない。


中学校を卒業したら、働く。
と、毒親には伝えていた。
まあ、あーそう。くらいの返事だったけどね。


それがね、毒母に言われたの。
あと1日2日で書類の提出期限が終了するってときに。

ギリギリの進路変更は、慌てたかっていうとそうでもない。
だって、ファミレスでオーダーする感覚で
さらっと進学先が決まったから。

慌てて悩むほど、わたしには選択肢がないんだから。

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毒母が親らしいことをいってきたんだけど?

13歳からの現場デビュー

気付いたら、周りの生徒が進路希望だの面接の練習だの言い始めていた。
でも、わたしには関係なかったから興味がなかった。
だって、就職を希望していたから。

毒父が引き継いだ家業を継ごうと思ってたから。
それに、義務教育は終わったんだから親のすねをかじっていたくない。
って斜め上から語ってた。

実際、中学1年の時から毒父の現場を手伝っていたの。
バレー部だったけど、万年球拾いだったしね(笑)
実際の話、記憶にないから分からない。
部活だってあるんだし、どのタイミングで現場を手伝っていたのかは
分からないけど休みの日は頻繁に現場に行ってた。

毒父の力になりたかったんだ。
同志(毒母から、要らない存在扱いされている者同士)
強い絆があると信じてたの。
だから、結束は固いと思ってたんだよね。
(毒親から解放されて、
冷静に考えた今ならそんなことなかったんだけどね。)

毒父のために、わたしが継ぐ。って思ってから、
中学卒業したら働く、それで自立する。
って、卒業後の進路はそう決めてた。

 

毒母の教え、ある日突然ふってきた。



進路希望を提出しなきゃいけない時期に入って
3者面談も近づいてきたある日、
毒母のほうから卒業後はどうするのか聞かれたと思う。

普段、おはようの挨拶さえもしないのに
いきなり話しかけられて驚いたのを覚えてる。

毒母に話しかけられると、構えてしまう。
緊張する、とは違うけど
身体と思考回路が止まる。

毒母に声を掛けられることに慣れてないんだもん。

女の子なんだから、高校だけは出ておきなさい。

数少ない毒母からの、教え。
伝える意志をもってわたしに発した最初の言葉だと記憶している。

男の子が中卒で社会にでる、ということはよく聞く。
女の子は高校くらいは卒業しておかないと
社会へ出ていくときの選択肢がかなり狭くなってしまう。
だから、高校だけは行きなさい。と強くいわれた。

毒親の一声で、わたしの15歳の春にJKになることが決まった。
じゃあ、どこの高校に行くか 。


得意なこともなけりゃ、
小学校1年で算数から落第したわたしには
学歴があるわけじゃない。学校の成績は
いつも、全体のTOP30にはいつもランクインしてた。
下から数えれば…ね♡

そもそもね。選択するほど、
進学できる高校がなかったんだよね。
福祉系・県立系のどちらかの高校しか行けるところがなかった。
その中のどっちを選ぶか、人生初めての選択をしなきゃいけないんだよね。

 

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結局さ、毒親育ちのACちゃんって『選択』しないんだよ。

福祉系・県立系の3つとも偏差値でいうと
40くらいの高校だった。(当時ね。)
勉強は一切しなかったから、
2つの中から選んで推薦枠で受験することになった。
(筆記試験なかったけど、受験っていうのか…な??)

どちらかというと、県立高校に行きたかった。
住んでる場所から若干遠い高校だったから。
その分、自宅に居なくても済むからね。


でもね。福祉系の高校に行くことにしたんだ。
この学校は介護福祉士を取得することを目標にした高校で
授業がほとんど専門科目っていう高校。


毒父に介護が必要になったときに、
わたしが介護してあげたいから。

だから、この高校を選んだんだって周りに言ってたんだ。
ほんとうにそう思ってたと?

そんなわけないじゃん。

選択をしなきゃいけないとき、
望んでいるものを選ぶことは少ない。

だってさ。
そこに、自分の考えなんてない。
自分のやりたいことなんてない。

 毒親が望む方を選ばなきゃこの家族の中で生きていけないんだ。

どういうことかっていうとね。

毒親育ちとか機能不全家族の中で育ったACちゃんは
毒親の顔色を見ながら生きてきたの。
周りの大人の顔色を伺いながら生きてきたの。

だから、選択なんてしないんだ。
毒親が望んでいるほう指定するだけ。
将来を左右する進学でさえ、自分の意志を優先しないいんだ。

自分の好きなこと、やりたいことができないなんてかわいそうだよね…。

可愛がられて育った一般人のあなたはそう思うかもしれないね。

他の選択肢があるから、
選べなかったときの悔しさだったり悲しさだったりを感じるんだと思う。

『他の選択肢』なんて、最初からない環境にあるとね、
悲しいとか、悔しいとか惨めな感情は湧かないんだよ。

毒親に育てられたわたしにとっては、それが当たり前なの。

福祉系の高校への進学は、本心じゃない。
『毒親に、どう思われるか。生きる場所を確保するにはどうするか?』
それらを考えてるからね。これが、独り立ちするまでの大きな課題になる。

高校進学か、家業手伝いか。

毒親たちとまともに話し合うこともなく
まるで、ファミレスでオーダーメニューを決めるような、かるーい感覚でさらっと決まったんだ。

高校受験っていう世間からしたら、人生のターニングポイントのひとつ。
でも、毒親育ちのわたしは悩むことなく、15歳は終わった。

 

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まとめ

毒親に育てられた15歳の高校進学か、中学校卒業で終わるか?
中学3年生の進路希望提出期限ぎりぎりで高校進学にきまった。

毒母からの、ある日突然言われた
女の子なんだから、高校だけは出ておきなさい。
人生で初めての親らしい言葉じゃないかな。

わたしの偏差値で行ける高校は2つしかなかったの。
行きたい方は、
なるべく家にいる時間が少なくて済む県立系の高校だった。
でも、福祉系の高校に進むことにした。

理由はただひとつ。
毒親が望む方を選ばなきゃこの家族の中で生きていけないから。

そこには自分の考えなんてないよ。
普通の環境に育った一般人からすると可哀想なのかもしれないね。
でもね、そんなことないんだよ。(わたしはね。)

だってさ、それがわたしにとっての普通だったから。
15歳のわたしには、当たり前だったんだ。

最後に、ここまで読んでくれたあなたへ。

機能不全家の家族の中で毒を持った親や
親戚に育てられたあなたは、きっと今も苦しくて辛いんだと思う。

30年自分を責めて、
生きづらくてしょうがなかったわたしが今、
こうして毒親や毒族の毒から解放されて
のらりくらりと生きてます…(笑)

猛毒の後遺症が激しいから、
覚えることはたくさんあるけれど
なにより自分というもの認めてあげることができたから
毎日、なんとかギリギリ前向きです。

大丈夫です。
毒親や毒族がなんといおうと、あなたは価値のある尊い人です。

声を大にして言いたい。

大丈夫、絶対によくなるから!!!

ほんとだよ。
では、またね。
いつか会えるときまで、元気でね!!

 

 

 

 

 

 

 

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