毒男、布団に侵入。ep3【従兄弟が布団の中に入ってきたんですけど】

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ここに来てくれてありがとうございます。

わたしが残っている2番目の記憶。
これは、わたしにとってつらい記憶でもある。


似たような体験をした人もいるかもしれない。
もっと酷い体験をした人もいるとおもう。

生々しい表現は避けるけど、気分が悪くなったら
どうかこのページを閉じてほしい。
大切なあなたの心を守るためです。
よろしくお願いします。

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映像の記憶より鮮明に残る五感の記憶

記憶が薄れても残るのは匂いと感触なのかもしれない

毒父の姉夫婦が近くの県営団地に住んでいた。
そこに夜遅くまで頻繁に、居る時期があった。

その義理兄が、建設会社を営んでいたんだけど、
その建設会社の経営を毒父が引き継ぐことになって
いろんな話をしていたみたい。(わたしの旦那さんから聞いた。)

と、いうのはもともと、
わたしの旦那さんは現場監督として下請け会社の毒父と現場で知り合った。
そこで毒父と意気投合して当時1週間のほとんどを毒親家で過ごしていたから、
毒親戚のことも毒親家の内部事情も知っていたんだよね。(機会があれば、このあたりの話も書くk…な?)

そんなある日のこと。
おつかいを頼まれたのかなんだか知らないけど
買い物に行くことになったその毒義理兄家の末っ子K。
なぜか当時入学前の5,6歳のわたしも一緒にいくことになった。
他にも、年齢の近い従兄弟たちがいたけど、なぜかわたしだけだった。

外へでると、空は暗かったから夜だと思う。
薄暗い団地の階段に鉄扉が閉まる音が響いてた。
次の記憶は、振り向いたKがズボンを下ろして口に無理やり入れてきた光景。


『光景』というよりは、五感の『記憶』に近いのかもしれない。

ゴボゴボっという音と、アンモニア臭。そして顎が痛かったこと。
濡れ汚れてしまった服を誤魔化すために、側溝のようなドブに突き落とされた。
だから、寒かったこと。

買い物から戻った記憶はないから、その後どうなったのかは知らない。
だけど、された事の残酷さよりもだれにも言っちゃだめだよ。という
命令に背いたら毒父や毒母が悲しむ。そう思っていたことは覚えている。


どうしてそう思ったのかはわからない。
そう、諭されたのかもしれないしわたしが勝手にそう思ったのかもしれない。

 

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冷蔵庫の中のニキビ顔


次の記憶は、この続きなのか、別の日なのかはよく分からない。
当時5,6歳のわたしと、年齢が近い小学生くらいの従兄弟たちはみんなで寝てたんだ。
上の階なのか、下の階なのかよく分からないけど
大人たちが集まっている部屋とは違う階の部屋。

リビングで寝ていたら、布団の中にKが入ってきたんだ。
パンツを下ろされて顔を埋めてきた。


静かにしててね。という声。
生暖かい息と感触。
寝ているみんなの寝息。
冷蔵庫のブーンという機械音。
カーテンの隙間から見えた街頭の灯り。
車が走る音。


この記憶は鮮明に今でも覚えている。
あれって、なかなか消えないもんだよ。

だれにも見つかりませんようにって
心の中で思っていたことだけは覚えてる。
息を潜めて、終わるのを待っていたんだ。

 

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逃げ場のないこどもにとって毒親家が生きるすべてなんだ。

ほんとうのことを言えないのは大好きだから

どれくらいの時間が経ったのかはわからない。
その行為が何回続いたのかもわからないし、
何日も何か月も繰り返されてたのかもわからない。
記憶のページのようなものをめくってみる。

ギィィィィ…ガシャンってあの厚い鉄扉が閉まる音がした。
その瞬間、布団の中にいたKは慌てて台所にいくと冷蔵庫を開けた。
冷蔵庫の灯りの中に、中学生特有のニキビ顔が浮かぶ。
中なんて大してみてないくせに、平静を保とうとするあの顔だけ鮮明に覚えてる。

起きてたの?と、毒母の声。
(なんでパンツ履いていないのか?と聞かれた気がする。)
おしっこ行きたくなっちゃった。(だから、脱いだというようなことを言った気がする。)

トイレに入った毒母の顔は鬼のように怖かった。
トイレに入ったんだから、電気はつけてるはずだけどなぜか、モノクロ。

じっと見つめる顔が怖かった。

次の記憶は、当時住んでいたマンションでのワンシーン。
そこには毒父がダイニングテーブルにいて毒母がわたしの身体を跨いでいた。
事細かく事情聴取でもされているかのように、
質問している毒母の肩越しに見えた毒父の顔がモノクロ写真みたいに浮かぶ。

『もっとはやくいいなさいよ!』と怒る毒母の言葉と、
わたしがいけないんだ。と傷ついた記憶を添えて。

大好きな毒親(幼いわたしにとっては。)の悲しむ顔はみたくなかったから、言えなかったんだよ。って
伝えたかったけど怒られたことで何も言えなくて固まっているわたし。

その後、どうなったのかは知らない。
病院で身体の検査をした記憶もないから
身体に傷がつくようなことはされていないのかもしれない。


もし、それ以上のことあったとしても。
記憶にないのなら、それは神様の配慮だから感謝したい。

あの冷蔵庫のニキビ顔を最後に、話をしたことがない。
その後、大きくなっても毒父の義兄やその家族と会うこともあったけど
直接何か言われたこともない。
結婚式か何かわからないけど、そういう集まりの時に会ったことはある。
同じ空間にいたけど、もちろん言葉を交わさなかったし目を合わなかった。

一度、車の助手席に一人でいるとき学校の帰り道のKに遭遇したことがある。
とっさにダッシュボードの下に隠れたのを覚えている。
大人がだれもいない車の中で、見つかったらどうしよう。って恐怖の中で
耳元のハザードランプとうるさい心臓の音を聴きながらじっと身を潜めた。

これが、人生の2番目の記憶。5歳の記憶。

今でも、団地を見るだけで思い出す。
団地だけじゃない。関連するキーワードを見たり聞いたりしただけで思い出す。


記憶から完全に消えないものだけど、
どうやら、なかったことにはできないけど
その記憶とうまく付き合ってるよ。


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こどもだって、ほんとは本質がみえるんだよ。

 

物事がよくわかっていない、そんなちいさいこどもに…。
って、みんなはいうかもしれない。

それはちがうよ。

ひとつ言えるのは
ちいさいこどもだからといって
具体的になにをされているのかは分からなくても
いけないことをしているのは理解できている。


だって、周りの大人たちには内緒のことだから。
みんながいるときには起きないことだから。

隠れてコソコソしなきゃいけないことは純真無垢なこどもにはない行動。
『悪事』は知恵も知識もついてきた大人だからこそできることなんだとおもう。

こどもだからってちんぷんかんぷんじゃないよ?忘れないで。

最後に、ここまで読んでくれたあなたへ。

機能不全家族の家族の中で毒を持った親や親戚に育てられたあなたは、
きっと今も苦しくて辛いんだと思う。

このページに限っては、同じような体験かそれ以上の体験をしたあなたが
読んでくれたのかもしれない。

つらかったよね。内容が内容なだけに、だれかれ構わず言えることじゃないと思う。
だからこそ、苦しいんだと思う。

  いつか、その苦しみから解放されることを
わたしはあなたの姿がみえないけれど心の底から願っています。

30年自分を責めて、生きづらくてしょうがなかったわたしが今、
こうして毒親や毒族の毒、Kの毒から解放されてのらりくらりと生きてます…(笑)

猛毒の後遺症が激しいから、覚えることはたくさんあるけれど
なにより自分というもの認めてあげることができたから毎日、前向きです。

大丈夫です。
毒親や毒族がなんといおうと、あなたは価値のある尊い人です。
苦しみから解放されて、あなたはあなたのままで
楽しく生きてほしい。

声を大にしていいたい。

大丈夫、絶対によくなるから!

では、またね。
ありがとうございました。

 

 

 

 

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