ここに来てくれてありがとうございます。
このブログを始めるために、生い立ちから過去を一から振り返っている。
ここでは、人生で一番最初の記憶を綴ってみようと思う。
一番古い記憶でもあるけど、苦しい記憶だった。
もし、あなたにこどもがいるなら
この記事を読んだら話し合ってほしい。
長時間話す必要はない。
5分でも10分でもいい。
それだけで、苦しい記憶になる
可能性はぐっと低くなるから。
Contents
苦しくて廊下を走った先にいた毒母の背中
たった1コマのモノクロな記憶
夜なのか、昼なのかわからない。
覚えているのは苦しくて苦しくて暗い廊下を走っているときに
視界に入ってきた明かりの向こうの母親。
背中を向けている母親の元に必死に駆け寄る。
やっぱり背中の母親だ。
記憶の中の母親は背中のイメージが強い。
1コマだけの記憶だけどぼんやりモノクロの映像で残ってる。
母親とは人生の8割会話をしてこなかった。
数少ない母親との会話の中でアレは何だったのか?と聞いたことがある。
小銭を飲み込んだわたしが苦しくて喉元を搔きむしりながら走ってきたらしい。
母親が急いで逆さまにして背中を叩いたら、出てきた、と。
2歳ころらしいけど、走れる年齢でよかった。もし、ハイハイ期だったら…。
今、生きていることに感謝しなきゃ。
機能不全家族は一日にして成らず
弟が生まれてもずっと一人っ子のままだった
わたしには、一回り離れた弟がいる。
その弟も、小銭のかわりにタバコを食べた。
リビングにはいつも小銭とタバコが入った
大きな厚いガラスの灰皿があってその中のタバコを食べたらしい。
(つかまり立ちを始めたような様子だったから生後7~8か月くらいかな。)
当時のわたしは中学生になったばかりの13歳。
母親のようには、赤ちゃんのお世話はできないけど少しはお手伝いだってできる。
でもね、弟と過ごした記憶ってほとんどない。
同じ屋根の下で暮らしていて、一緒に生活しているのに抱っこした記憶もない。
ハイハイを始めたときも、言葉を話し始めたときも、歩き始めたときも…
その成長過程をほとんど見てきていないし一緒に居ない。
幼児期なら、記憶がないのもわかるけど13歳なら記憶くらい残ってるはず。
それが、ほとんど覚えていない。
そこには確実に弟が生活していたはずなのに。
実はね、記憶がないんじゃなくて、なにもなかったんだよ。
家族が分別された状態だったんだ。
独裁者が家族の中にできてしまった
そもそも、ちいさい子供がいる家庭だったら、
そんな子どもの目につきやすい場所に口に入れたら危険なものは置かない。
(小林家ではこどもが生まれてから、危ないものは全部手の届かない上の方に置くようにしていた。どこの家庭でもそうだと思うけどね?)
しかも一度、わたしが小銭を飲み込んでいるのなら尚更気をつけなきゃいけないと思う。
なんで繰り返されるのか考えてみた。答えは至ってシンプルだった。
母親に注意する人がいないということ。
誤飲事故のようなヒヤリハット案件もそうなんだけど、子育てやら何やらいろいろ話したりする人がいないってこと。
一般的にはそういう話をするのは自分の親か夫だと思うの。
つかまり立ちを始めた弟の目線に触れる場所にいつも置いていた。見慣れないものが見えたら、赤ちゃんだもん。そりゃ、口に入れて危険なものかどうか確かめたくなるよね?
それはなんとか対策した方がいいよね?って話をしておくものだし、会話の中にこどものことは、自然とでてきても不思議じゃない。
毒親家では母親が天下だった。
毒父は、毒母の顔色を伺ってばかりだった。
子育てに関して毒父が何か意見をいうことはなかったように感じる。
意見を言おうものなら、ヒステリックに怒鳴られるのがオチ。
弟が生まれるころには、弟&毒母グループと毒父&わたしのグループに分けられていたの。
要るもの、要らないものってゴミの分別みたいに毒母に分別されたの。
家族なのに派閥があって近寄らせないなくらいの距離感ならそれはもう、機能不全の家族だよね。だって家族としての機能を果たしてないもん。
家庭内に安心して安らげない毒素が充満しててもこどもには逃げ場がない。
だから、こどもがその毒にやられて心が壊れてしまうんだ。
ねえ、あなたには、安心して安らげる場所はありましたか?
その場所での最初の記憶ってどんなものでしたか?
たくさんのブログの中から、最後までよんでくれてありがとうございます。
生い立ちを辿る中で、過去を振り返ってみて
一番最初の記憶を思い出して感じたことをありのままに綴りました。
当時2歳だったわたしが、小銭を飲み込んで苦しくて苦しくて、暗い廊下を走った先にいる背中を向けた毒母。
これが一番最初の記憶。
わたしは小銭。弟は、タバコを食べた。
なんで同じことを繰り返してしまうのか?
毒母が家族の中で天下をとってたから。
弟が生まれるころには、弟&毒母グループと毒父&わたしのグループに分けられていたの。
居るもの、要らないもの。ゴミの分別みたいに毒母に分別されたの。
家庭内に安心して安らげない毒素が充満しててもこどもには逃げ場がない。
だから、こどもがその毒にやられて心が壊れてしまうんだ。
もし、あなたにこどもがいるならもう一度家族と話して欲しい。
危ない場所はないか、危険なものはないか。
その会話がこどもをヒヤリハットから救うから。
こどもに目を向けてあげてほしい。
機能不全家族の中で毒親に育てられた人の記憶には、楽しいことよりつらい記憶の方が多いといいます。
どうか、あなたにとって一番最初の記憶が楽しい記憶でありますように。
最後に、ここまで読んでくれたあなたへ。
機能不全家族の家族の中で毒を持った親や親戚に育てられたあなたは、
きっと今も苦しくて辛いんだと思う。
30年自分を責めて、生きづらくてしょうがなかったわたしが今、
こうして毒親や毒族の毒から解放されてのらりくらりと生きてます…(笑)
猛毒の後遺症が激しいから、覚えることはたくさんあるけれど
なにより自分というもの認めてあげることができたから毎日、前向きです。
大丈夫です。
毒親や毒族がなんといおうと、あなたは価値のある尊い人です。
声を大にしていいたい。
大丈夫、絶対によくなるから!
では、またね。
ありがとうございました。