毒子、問題行動を起こす。ep6‐1【毒親に育てられたら、ありえない悪事を起こした。】

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ここに来てくれてありがとうございます。

小学校は6年あるのに記憶がかすかにしかなくて
しかも、全部嫌な思い出しかない。
低学年の時には毒親の毒素で身体が壊れてしまった。↓
毒子、2つのものを失う。ep5【毒親に育てられたら、たった7歳で失ってしまった。】

小学校の後半は、もっと酷くて手に負えない子になる。
メンタルがぐずぐずにヤラレ始める。

ここでは、メンタルをヤラレっぷりを綴ろうと思います。

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いとこのあかねちゃんを利用してたんだ。

傘と海とあかねちゃん

マンションの上の階に年齢の近い従兄弟が住んでいた。
同じ学年にも居たし、一つ下の学年にもいた。

同じ学年のいとこは、わたしよりも口数が少なくていつも教室の隅に一人でいるような感じだった。
いとこで同学年で女の子同士。同じマンションに住んでたから交流はあったんだけど
一緒に遊んだ記憶はほとんどない。
だけど、物静かな性格を利用したことはあった。

家に帰らない計画。
家出するつもり、というより心配させてやろう。作戦。
ただ、ただわたしを心配してほしくて
わたしを見てほしくて。たったそれだけのために
嫌がるあかねちゃんを引っ張り出した。

場所は徒歩3分の海岸。
レジャーシートと大人用の大きな傘と
大きなリュックになにかを詰めて。

出ていくとき、帰ってきた母親に遭遇した。
遊びに行くには、不審なほど大荷物。
こんな大荷物だもん、心配してくれるはず。
引き留めてくれるはず。
夕方から出ていくんだもん、止めてくれるはず。

こんな時間にどこいくの?
その荷物はなに?
そんな言葉を期待してた。


勝手に傘持ちださないで。


そう言い放つと傘を思いっきりひったくられて玄関が閉まったんだ。

え?
その大荷物なんだとか、
こんな時間からどこ行くとか、
何も聞かないんだ。
やっぱり興味ないんだ。って思った。
ものすごく寂しい気持ちになって
悲しくなって海岸に行ったのを覚えてる。

暗くなって、寒くなってから
上の階の人たちや、毒親が探しに来た。
まあ、いろいろあちらこちら探したんだろうけどね。

その後は、かなり怒られたけど
あなたの身を案じて心配した分、怒った。というより
子どもの分際で何やってんだ、恥かいた。っていう
世間体の部分で怒ってた。
結局、自分のことか。ってまた傷ついたんだ。

あの時、引っ張り出したあかねちゃんは
離婚で大阪に引っ越したきり一切交流もなくなった。

間違いなく、あの子はわたしの引き立て役だったの。
学校の先生も、叔父も叔母もわたしと比べていたから。
だからわたしも、調子にのってた。
あの子の気持ちに寄り添ってあげるべきだった。

でもね。
その当時は、毒母や毒父の気持ちを引きたくて必死だったんだ。
あの子も、父親が違う兄弟と一緒に暮らして
義理の父からは他の兄弟と比べられたり、同学年のわたしと比べられたり
つらかったはず。

だから、心が壊れて言葉を話さなかった。
会うことはないんだろうけど、いつか会えたら謝りたい人の一人。

 

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朝の出来事を話したら、学校を巻き込むことになった。

 

登校中の出来事だったんだ。

あれは、登校中だった。
前から歩いてきたおじさん。頭はハゲてた。
睨みつけると、近くにいた低学年の子にナイフを突きつけた。
怖かったけど体当たりしたら逃げてった。

そんな話を、クラスメートにした。
すぐに次の授業中に担任の先生に呼ばれた。
同じ話をした。
また次の授業中に学年主任の先生に呼ばれた。
朝の話をしてほしい。
警察にも話さなきゃいけないから、って淡々と。


警察のワードを聞いた瞬間、青ざめた。
夢だったかもしれない…。って言ったことは覚えてるけど
その後にどうやって教室に戻ったのかも覚えてないくらい
生きた心地がしなかった。

なんで、そんなウソをついたのか。
そんな話をすれば、学校を巻き込むし
毒親の耳にも入る。
そうなったら、怒られるのは目に見えてるのに
嘘をついてしまった。

たった一言。


メンタルが崩壊したんだ。

手段を択ばず。というより方法を知らなかった。

こどものころって、
わざと遅く帰ってみたり
ちょっと悪ぶってみたりすることってあると思う。

でも、その時の自分の中の根底には
両親が心配するかな?って罪悪感があるとおもう。
悲しませるんだろうな。って良心の部分で葛藤するんだと思うの。
それは、そもそも心配してくれる姿を知ってるからなんだ。


遊んでて転んだ、学校で嫌なことがあった、友達と喧嘩した。
そんな些細なことでも、雰囲気の違いを感じ取ってくれて声をかけてくれる。
そんな姿を知ってるから両親に対しての罪悪感だったり、葛藤があったりするんだよね。

でもね。わたしの場合はちがうんだ。
そりゃ、少しは良心が痛んだりしたんだろうけど
全身全霊で、寂しいよ、わたしをみて!って思ってたんだ。

母親が帰ってきても、部屋から出なかった。
学校でのあれこれを話したくても、『おかあさん。』って呼べなかったんだ。


学校どうだった?とか気に留めてもらったことがなかった。
食卓も記憶ってまったくないんだけど
ごはんを食べてても、ご飯の時間が楽しくなかった。
セーラームーンが放送されてて、何を話せばいいかわからないし
睨まれるのが怖くて早くご飯食べなきゃって思いながら
一心不乱に食べてた。

一日の中で安心する瞬間がなかった。
だから、心配してもらうことで
わたしをみてくれてる。って安心が欲しかった。

 だけど、心配してもらった経験がないから
どの程度の悪事を働けばいいか分からない。
だから、突き抜けた悪事を働くんだ。


クラスメートや学校の先生を巻き込んで
最悪の状態は、警察を巻き込んだかもしれない。
そこまでしないと、わたしのことを見てもらえないと思ってた。
だから、寂しかったよ。

寂しいって言えばいいのに。


そう思うかもしれないけど、その一言が言えないんだ。
『おかあさん。』って呼ぶだけで、
2時間も3時間も言葉が出なくなってしまう。


 だから、『寂しい。』だなんて言えないんだよ。

 

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まとめ

毒親の猛毒が原因でメンタルが崩壊していく小学校6年間の中の3~4年生のころの小林さん。
毒親の気を引こうと勇気を出して悪事を働くようになる。

  • 初めての家には帰らない作戦を決行
  • 学校で、不審者を撃退するというホラを吹く

普段から、気にかけてもらった経験がないから悪事の加減がわからなくて
ずば抜けて訳の分からないウソをついてしまった。
それだけ、毒親に気にかけて欲しかったんだ。

みんなには、そういう作戦はなかったのかな?

最後に、ここまで読んでくれたあなたへ。

機能不全家の家族の中で毒を持った親や親戚に育てられたあなたは、
きっと今も苦しくて辛いんだと思う。

30年自分を責めて、生きづらくてしょうがなかったわたしが
今、
こうして毒親や毒族の毒から解放されてのらりくらりと生きてます…(笑)

猛毒の後遺症が激しいから、覚えることはたくさんあるけれど
なにより自分というもの認めてあげることができたから
毎日、なんとかギリギリ前向きです。

大丈夫です。
毒親や毒族がなんといおうと、
あなたは価値のある尊い人です。

声を大にして言いたい。

大丈夫、絶対によくなるから!!!

ほんとだよ。
では、またね。
いつか会えるときまで、元気でね!!

 

 

 

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