毒子の妹、1歳で旅立つ。ep4【突然やってきた妹の2つの誕生日】

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毒子の妹、1歳で旅立つ。

ここに来てくれてありがとうございます。

わたしの記憶の引き出しも終盤になってきました。
(記憶ep1~3しかないけど、仕方ない。記憶がないんだもん。)

3番目の記憶は『妹』の記憶でした。
でもね、たった2つの記憶しかないんだ。
誕生日も知らない妹との記憶をありのままに綴ります。

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7歳のとき、気づいたら妹が生まれてた。


突然、我が家にビジネスパートナーがきた

あれは、7歳か8歳の頃。
ランドセルを背負っていたから
小学校1年生か、2年生だとおもう。

ベビーベットでバタバタしている妹が我が家に現れた。
一緒に産婦人科に行ってみたり、
生まれた時に赤ちゃんを見に行った記憶もない。
大きなお腹に手を当てて、妹の誕生を待ちわびてる記憶もない。
だから、妊娠してどれくらいで生まれたのかも
いつ生まれたのか、誕生日すらも知らない。

え?そんなわけないでしょう?と、思うかもしれないけど
毒男、布団に侵入。ep3【従兄弟が布団の中に入ってきたんですけど】の記憶から、ここだから仕方ないよね。

お腹が空いて、
泣いている妹にミルクをあげようとしている記憶。
妹の記憶でこのシーンを覚えているのには理由がある。

妹の面倒をみれば、可愛がってくれるかもしれない。
いい子だねって、いってもらえるかもしれない。

そんな、不純な動機だったから覚えてる。

兄妹ができたりすると、
寂しくて赤ちゃんのころに戻って、今までできてたことを
わざと駄々こねてやらないで母親に甘えるって聞く。

でもね。
甘えても甘えさせてくれないことが分かっているから
赤ちゃん返りで甘えたりなんかしないよ。


どうやって、甘えるか?
いい子になればいいんだよ。

いい子にしてなきゃ母親の目を向けられない。って、
7歳の時には既に感じてた。


妹の存在は、母親の愛情をもらえる
一世一代のビジネスチャンスだったの。
だから、必死にその不純な動機の下で
妹にミルクをあげてたんだ。

妹の記憶が2つあるうちの1つは、この一世一代のビジネスチャンスだったミルクシーン。

なんともいえない気持ちになるね…(笑)

 

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2月14日、小さなビジネスパートナーの誕生日

記憶のないお留守番



2つ目の記憶は2月14日の早朝。
玄関のガタガタって音で目が覚める。
幼稚園の頃には、自分の部屋があってそこで寝ていた。
部屋を出ると、毒父が靴を履いて飛び出すところだった。


息をしてない。
家で留守番するようにいわれた。
何がなんだかわからないうちに
玄関が閉まった。

息をしてない、その言葉の意味が分からなかった。
部屋の中がやたら広かったことは覚えてる。
寂しいのか、怖いのか、何も思わなかったのか。
よく覚えていない。

妹、いなくなっちゃった。

震える声で絞り出すように話す毒父の声を
お留守番からどれくらい時間が経ってから
聴いたのかはわからない。
すぐ上の階に住む叔父さんの奥さんが来るから、
といって電話が切れた。
他にどんな会話をしたのか覚えてない。
あの時何を言ってあげればいいか、わからなかったんだ。

小さなビジネスパートナーは
乳幼児突然死症候群で旅立った。

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お弁当箱に入った妹

妹が帰ってきた。
『いなくなった』妹は冷たくてピクリとも動かない。
それが怖かった。悲しいとか、寂しいとそんなんじゃない。
まったく動かない妹がただ怖かった。

その妹の周りにたくさんのドライアイス。
ベビーミッキーとラジカセ。
『星に願いを』が流れてた。

妹が帰ってきてから、
毒父や毒母がどんなふうに過ごしていたのかわからない。
妹の傍らに毒母がいた記憶がない。
あの時、毒母や毒父の顔を見ないようにしていた。
悲しい顔をみたくないから。
何といってあげたらいいかわからなかった。
そんな自分に不甲斐なさを感じてた。


葬儀が始まって大人たちが座る寝室の後ろで
はしゃいでた自分を覚えてる。

別に、いとこたちが集まったから楽しかったわけじゃない。


わたしが明るく振舞ってたら、
毒母や毒父が笑ってくれるかもしれない。
周りの大人が明るくなってくれるかもしれない。


そう思ってたんだ。

そういえば、お巡りさんが2人きてた。
乳幼児突然死症候群のように、
事故や病気以外で突然亡くなると一応話を聞きにくるらしい。

そのお巡りさんに、こんな時に…!って怒ってる毒親。
そりゃ、そうだよね。配慮して欲しいよね。

入りきらないほど部屋の中にいた大人たちがマンションのエントランスに集まってマイクロバスに乗り込む。

わたしも大人に続いて乗った。
窓の外を見ると祖父に泣きつく毒母がいた。
思わず目を逸らした。

だって、泣いている毒母なんてみたことがなかったから。
泣く姿をみたら、我慢していた涙が止まらなくなりそうだったから。

次の記憶のページをめくると
大きなステンレスに並んだお骨。
妹はほんとうに跡形もなく消えた。
あのお弁当箱にお骨を入れていく。

大人がこんなに居るのに、
お骨がこれだけだと、
みんなの順番回ってこないんじゃない?
不謹慎にも、そう思っていた。

そして、骨壺がまだだれも入っていない
新しいお墓に納骨された。

妹の新しいお家。
すぐそばには、水子供養の仏様が建っていた。
こどもながらに、お供え物はおもちゃだったり
お菓子だったりするから幼稚園ような場所だと思ってた。
たくさんのお友達がいるから、
妹は寂しくないんだろうなって安心したのを覚えてる。

こうして、妹は天国に旅立った。
これが、わたしと妹の記憶だった。

そして、『妹』は家族の中でタブーになった。

家族の中から消えた語られない妹

わたしにとって妹は
生まれた日を知らない。
いくつ離れてるかも知らない。
名前の由来もしらない。
血液型もしらない。
生前の記憶はたった1つ。

『妹』と自覚する前に旅立ってしまったから
『突然来た赤ちゃん』の認識だった。


だから、いろいろ妹について聞いてみたかった。
毒母は、いつも家にいなかったから専業主婦ではないと思う。
(なんの仕事をしているのかは知らないけどさ。)
聞こうと思えば、聞けたはず。
だけど、その頃には毒母は怖い存在だった。
『お母さん。』と呼ぶことさえも怖くて言葉が出なかったんだ。

だから、聞けなかった。

それでも、中学生の時同じ派閥の毒父に妹について聞いたことがある。(派閥についての話は毒母、独裁者になる。ep2へ。)


妹は、水頭症という病気で入退院を繰り返していたこと。
(だから、日常の中に妹の存在がなかったんだ。
まあ、それにしたってお見舞いに行くとか
記憶があってもいいのに…)


あの日、毒母が目を覚ました時には、
既に息をしていなかったこと。
看護師だった毒母がずっと蘇生を施していたこと。
亡くなったのは2月14日だったこと。

それ以上は、やっぱり聞けなかった。
だから、結局のところ突然来た赤ちゃんのことを
あまり知らずに育った。

 

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亡くなったあの人を語ることよりも大事なこと

鉄は熱いうちに打て論

家族の中で語られなくなった妹でも、
家族の中に存在していたことは覚えてる。

『きみのこと 思い出す日なんてないのは
 きみのこと 忘れたときがないから。』

って、どこかの歌手が歌ってたけど、ほんとコレ。

思い出してあげること。
名俳優や、名キャラクターもいってたよね。

『人間は3度死ぬ。
一度目は心臓が止まった時。
二度目は埋葬や火葬で身体が消えた時。
三度目はその人のことを忘れたとき。』

ほんとうにそうだとおもう。
大切な人だから、忘れられない。
忘れられないから大切なんだ。

涙をきちんと流すことも大事だよ。
適材適所というのか、TPOというのか。

妹が眠ったまま帰ってきたときも、
葬儀のときも、納骨のときも。
ずっと、涙を我慢してた。

そうこうしているうちに、
涙が心の中に溜ったまま何年も生きてきた。
いつも妹のことが引っかかってたんだよね。
ずっとモヤモヤしてたんだ。

あの時の涙を流すのに、10年くらいかかった。
でもね、そしたらスッキリしたの。
なにかわからないけど、『妹』のなにかがスッキリした。

あなたにも、涙を流さないで我慢したことがあると思う。
その涙、きちんと身体から出してあげなきゃダメだよ?
いつまでも心に溜め込んでても、モヤモヤして
自分がつらいだけ。苦しいだけ。

だから、我慢しないで。
思いっきり泣くこと。
声を出したきゃだせばいいし
鼻水だって気にしなくていい。

 感情を殺さないで、ありのまま泣けばいい。


来月2月14日は、おそらく30年目くらいになる妹の命日。

妹がこの世に生まれた日を知らないけど、
妹が天国に生まれたのは2月14日。

わたしはきっと、また。
ミルクをあげた時の妹と遺影の中の妹の記憶を頼りに、
お菓子をもって会いに行くと思う。

1つ目の誕生日を祝ってあげられないけど
2つ目の誕生日には、必ず会いに行きたいから。

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最後に、ここまで読んでくれたあなたへ。

機能不全家族の家族の中で毒を持った親や
親戚に育てられたあなたは、
きっと今も苦しくて辛いんだと思う。

30年自分を責めて、
生きづらくてしょうがなかったわたしが今、

こうして毒親や毒族の毒から解放されて
のらりくらりと生きてます…(笑)

猛毒の後遺症が激しいから、覚えることはたくさんあるけれど
なにより自分というものを
認めてあげることができたから毎日、前向きです。

大丈夫です。
毒親や毒族がなんといおうと、
あなたは価値のある尊い人です。

声を大にしていいたい。

大丈夫、絶対によくなるから!

では、またね。
ありがとうございました。

 

 

 

 

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